仙台・青葉通のひと・こと・ものを
未来目線でご紹介するWebサイト

AOBA DORI MOVE

街に開き、人と人が集う状況をつくるひと – 株式会社The Youth 代表 佐藤岳歩さん –

 

 

とある平日の午前10時。この日は一段と寒く、青葉通にもしっかりと雪が積もった。きりっと澄んだ空気の中に、コーヒーを淹れ、食材を調理する芳しい香りが漂う一帯がある。地下鉄大町西公園駅を降りてすぐ、ローカルラウンジ「Echoes」だ。

 

 

朝の光が差し込み陰影が美しい店内に颯爽と現れたのが、Echoesを運営する株式会社The Youth代表、佐藤岳歩(がくほ)さん。一カ月のうち三週間は東京、残りの一週間を仙台で過ごす生活だという。

「東京にいると物事のスピードが速く、毎日何かが変化していきます。それに対して仙台は時間の流れがもっと緩やかで、三週間後に帰ってきても大きな変化がない。そのことにとてもほっとします。青葉通もゆったりとしていて、圧倒的に緑が美しく“気が良い”通りですよね。」

 

 

青葉通にEchoesがオープンしたのは、2021年5月のこと。築46年11階建のマンションをフルリノベーションし、SOHO&アパートメント、シェアオフィス、イベントスペースなどが入って生まれ変わった複合施設「Blank」の一階にある。オープンした直後はコロナ禍真っ只中でありながら、連日多くの方が訪れて列を成していた。

「本当に有難いことにSNSの効果もあって、たくさんの方々が足を運んでくださいました。オープンから2年半が経ち、少しずつ青葉通本来の風景に溶け込めてきたのではないかと感じています。」

 

 

お店のオペレーションやメニュー開発は、基本的に普段お店に立っているスタッフに任せているという佐藤さん。その理由は「毎日お店に立っているスタッフが、最適を一番解っているから」。

Echoesには、カジュアルながらも趣向を凝らした料理を作るシェフがいて、コーヒーの味の特徴を説明しながら提供してくれるバリスタがいる。食材には旬のものを使い、コーヒー豆には環境負荷を抑えて栽培されたものを選ぶなど、お店を形作る要素一つひとつに意思が感じられる。

 

 

青葉通に新しい風を吹き込むEchoesを紐解くためにも、まずは佐藤さんのひととなりから伺うことにする。

 

 

サッカー少年からの転機

 

まずはじめに、佐藤さんの子どもの頃、学生時代について教えてください。

幼少期は岩手県の安比高原で育ちました。森の中の家で自然に囲まれて過ごしたことが僕のルーツになっています。後に仙台へ来て、東北学院大学の中高一貫校に通ったのですが、指定校推薦での大学進学を目指していたため、うまく時間をやりくりしながら勉強をしつつ、そのほかのほとんどの時間を部活動のサッカーに注いでいました。休みの日は、部活の仲間と仙台の古着屋さんやコーヒー屋さんを回っていました。

 

その頃から個人の方が経営されている古着屋さんに通っていたなんて、大人びていましたね(笑)。

そうですよね。中高一貫校に通っていたので、中学生と高校生の距離が近かったことも影響しているかもしれません。部活の練習が終わると、高校生の先輩方は、わざわざジャージからおしゃれな私服に着替えて帰っていて、中学の頃はその姿に憧れを抱いていました。そんな先輩方の影響や、カルチャーがぎゅっと集まる東京に対しての憧れもあり、指定校推薦で東京の大学への進学が早めに決まりました。そして、高校三年の時に一カ月間サンフランシスコに短期留学をしたのが僕にとっての転期でした。

 

- 一カ月間の滞在は、どのようなものでしたか?

自分でホームステイ先や現地の語学学校を決めて行きました。僕のホストファミリーはフィリピン系アメリカ人だったので、食事もアジア寄り。家の中ではそこまで異文化を感じなかったのですが、語学学校は世界中からあらゆる人が集まっていてとても刺激的でした。

それまでの学校生活は、場の空気を読んだり、守らなければいけないことがたくさんあったけれど、サンフランシスコではみんなが表現者でした。個々の感情がダイレクトに伝わってきましたし、「自分はこうしたいからこうする」という意思を持っていて、自分の思いをもっと表現して、相手に伝えることの大切さを実感しました。

 

 

憧れていた「経営」への道

 

大学進学と共に念願の東京へ。どんなことを学んでいましたか?

経営学を学べる明治大学に進学しました。会社経営をしている父の影響で、小さい頃から漠然と自分で会社を経営してみたいと思っていました。父は、僕が小学生の頃に通っていたサッカーチームの監督も務めていて、好きなことをしながら仕事をする時間の遣い方や生活のリズムが楽しそうに見えていたんですね。

初めての海外渡航だったサンフランシスコをきっかけに、大学在学中は13カ国を旅行したり、バックパック一つで回ったりしました。

音楽、ファッション、アートや食と色々な分野に興味があり、そのなかから一つを選ぶことができなかったため、まずはそれらの土台でもあるハードをつくるデベロッパー業を経験しようと、不動産関係の企業のインターンシップに参加していました。

大学3年生の時、あるインターンシップで山本拡俊(ヒロ)​​という男性に会いました。気が合いそうな予感がして、インターンシップ後にご飯に行って仲良くなったんです。僕が興味のあること、やりたいことを話したら、「紹介したい人がいる」と。それが、ヒロが働いていた宿泊施設を運営している、株式会社Backpackers’ Japanの元代表の本間貴裕さんでした。

本間さんと待ち合わせたのは、Backpackers’ Japanが運営しているホテルのカフェバーラウンジ。その空間の格好良さにとにかく圧倒されてしまって。本間さんに僕の経験や想いを伝えたら、開口一番「いつか一緒に仕事をしよう」と言ってくれました。その時の事は今でも鮮明に覚えています。

本間さんと出会った一カ月後、僕はBackpackers’ Japanにインターンとして入り、2019年末まで新規ホテルの開業に関連したマーケットリサーチなど色々なことを経験させて頂きました。

 

 

− Backpackers’ Japanはどんな会社でしたか?

社内外にいる人達が全員魅力的で、楽しく仕事をするということだけではなくて、社会に対して意味のあることをしていきたいという姿勢に共感しましたね。

Backpackers’ Japanで手がける場所の多くは、施工会社さんは入れずに、棟梁が全国から職人さんを集め、そこにBackpackers’ Japanのメンバーも交ざって一緒に工事をしています。建物を造るところから運営までを体感しているから、自然と愛着が生まれるし、ストーリーを自分の言葉で伝えられるんです。

大きな施設や空間をたくさん作るのではなく、点の密度を高める方こそ自分のやりたいことだと実感し、デベロッパーへの就職を辞めました。

そして2019年12月。インターンシップでBackpackers’ Japanに来て10か月後、社内起業という形で株式会社The Youthを創業しました。

 

− Backpackers’ Japanで佐藤さんが作りたい場所づくりもできたように思いますが、起業の理由は、やはり、自らが会社を経営したかったからでしょうか?

僕の場合は、「人が集まる場」に強い関心があり、それに関わることを仕事にしたいと考えていましたが、周りには、どうやって自分の仕事を選ぶか、どういう生き方をするか迷っていた同級生も多くいました。自分が何かをすることで、周りの仲間たちの選択肢が少しでも広がれば、という想いが一番の動機としてありました。

100ある中から1つの道を選ぶのか、10しかないところから1つの道を選ぶのか。そこに正解はないけれど、より多くの選択肢から選んだ方が、そこから気づくことも得られることも多いと思いますし、結果的にその道が自分に合わなかったとしても、より納得して次の道に進むことができると思うんです。

「自分は本当にこれをしたい、楽しい」って思える瞬間は、人との出会いや会話の中でこそ生まれるのではないかと思います。僕は、Backpackers’ Japan周辺の大人たちからそういう瞬間をもらったので、今度は自分たちが同世代や次の社会を作っていく未来の世代に見せていきたいと思ったんです。そして、行き着いたのは「人と人が集う状況づくり」でした。

 

 

街の文脈を捉える

 

佐藤さんがThe Youthを起業したのは、若干21歳の時。「人と人が集う状況づくり」の土台となったのは、Backpackers’ Japan在籍時にメインで携わった、東京・日本橋兜町の「K5」という複合施設の開業プロジェクトだ。大正12年竣工、築97年の歴史的な建物である「第一国立銀行(現みずほ銀行)」の中をリノベーションし、ホテル、レストラン、バーなどを有した兜町のハブとして、2020年に創業している。

 

 

「日本橋兜町は金融経済の町で、高度経済成長期は日本の心臓部でした。歴史と文化がある町だからこそ、それを壊して作り替えるのではなくて、きちんと継承していくというのが再開発の大きなビジョン。その第一発目がK5でした。

宿を作れば人が集まる理由ができます。 簡単なことではありませんが、宿の周辺を良い方向に変えていかなければならない。宿単体では小さな世界の話かもしれないけど、 強力な一個の点があれば、結果的に面が変わっていく。そのやりがいをBackpackers’ Japanに教えてもらいましたね。」

 

 

2022年5月、The Youthが手がけたのが、六本木のカフェレストラン&ミュージックバーラウンジ「Common」である。

「六本木という街でのプロジェクトのお話をいただいたとき、正直はじめはエリアのイメージを掴みきれていなくて、歴史的背景を遡りながらこの街の文脈を読み解くところから企画がスタートしました。

六本木は、一見すると大企業の高層ビルが立ち並び、人も車も行き交い、忙しく時間が過ぎてゆく。美術館も多く立地し、夜には音楽やバーなどのナイトライフを楽しめる街。そういう印象がありましたが、実は、戦後にこの街からあらゆるカルチャーが生まれ、東京中へと広まっていったことを知りました。時代の流れとともに、文化の中心地が渋谷や日本橋、その他のエリアへと移りゆくなかで、自分たちの視点と観点でこの街に在るべき場所をつくることができれば、僅かかもしれないけれど、新たな人の流れを起こし、人とひとの出会いを起こすことができるのではないかと。そうして形になったのが、Commonです。」

Commonはワークラウンジやオフィスが入った複合施設「Kant.」の一階にあり、建物の機能としては、仙台のBlankとEchoesに近しいように見えるが、内容はそれぞれ異なっている。ここからは、佐藤さんが考える「人と人が集う状況づくり」を伺う。

 

 

街に開いた場をつくる

 

−  学生時代から、仙台をはじめ、海外の古着屋さんやカフェに訪れていらっしゃいます。場所づくりに置いて、それらの影響は受けていますか?

とても受けています。僕がサンフランシスコに行ったのは2016年、今から8〜9年前ですが、空間の独特なデザイン、そこで寛ぐ人の表情や雰囲気がすごく心地よくて、この頃から「人が集まる空間」に興味が増していきました。

その後、東京や海外で出会うお店をより意識して見るようになり、Backpackers’ Japanのプロジェクトに携わるなかで、自分が空間に対してこうありたいっていうアイデアが生まれてきたように思います。

 

仙台のカフェとサンフランシスコのカフェ、違いはどんなところでしたか?

人それぞれの自由のようなものでしょうか。例えば、お店の方々の服装やコミュニケーションのスタイルが格好良かったんですよ。「お客様は神様」の考えではなく、そこにはひとりの人間と人間の会話があって、 そのイーブンな関係性が心地良かったんですね。

Echoes、Commonでも、スタッフは「いらっしゃいませ」ではなく、「こんにちは」「行ってらっしゃい」と言います。お店のスタッフとお客さんはカウンターを挟んで内側と外側の関係性かもしれませんが、その精神性を大切にしていますね。

 

 

 

仙台・青葉通のEchoes、東京・六本木のCommon、それぞれのイメージはどのように作っていったのですか?

手がける場所がどこにあり、そこに誰がいるか。目には見えない街や地域の文脈を自分たちなりに解釈し、空間としての在り方とあるべき状況をEchoes、Common共に考えています。

経済合理性だけで言えば単一ブランドで展開をしたほうが良いという考えもあるのですが、僕たちはその街やその場所にあるべき空間と状況を起こしたいという想いから、一つひとつ丁寧にブランドを作り続けてきました。

僕らが大切にしているのは「街に開く」というキーワード。空間も、外との繋がりを感じられるようなデザインにしています。

Echoesには、外にも青葉通に面した席があります。お天気の良い日は、気がつくと近所のおじいちゃんやおばあちゃんが腰掛けて休憩していたりして、そういう光景が何だか良いなぁと思います。

 

街にいるあらゆる人にも開かれている造りですね。

「セレンディピティ」=偶発的で素敵な出会いが起こるといいなと思っていて。それって仕掛けてできるものではなくて、その場所で流れている音楽や漂う香り、目に見える色や滞在している人のすべてが重なり、起こること。これからも、人と人、人ともの、人とことの「出会う状況」を作っていきたいです。

 

 

 

青葉通との関わり方

 

お店の外に出ていく取り組みもされています。青葉通に椅子を置いてみて、いかがでしたか?

きっかけは、僕たちが良く訪れるお店が晩翠通沿いに椅子を置いているのを見て、その場所で地域の人たちが寛ぐ風景を同じように青葉通でも作れないかと思い、仙台市に相談に行ったところからです。海外のストリートみたいに並木の下に座れるところがあったら良い景色になるのかなと。半年間やってみましたが、場所が限られていたこともあり、実際にやってみてわかったことが多々ありました。

 

− 2023年11月25日、26日にEchoesの前で開催された「AOBA MARCHE」には、仙台の飲食店やコーヒーロースターなどが出店され、青葉通が賑わいを見せました。出店者のセレクトはどのようにされたのでしょうか?

食を中心に、暮らしと密接に関わりのある生産者や料理人、インテリアショップやフラワーショップの方々に出店いただきました。

自分たちが普段食べたり飲んだりしているものは、たくさんのステップを踏んで手元に届くわけですが、その源流である生産者さんとのコミュニケーションの中で、ちゃんと見て考え、 選んで買うことが大切だと思います。

次回開催することがあるならば、農家さんなどの一次生産者さんの数も増やせたら良いなと思いますし、頻度も内容も高めて生活の一部になる位までにできるといいですね。街に住まわれている方々にとってはコミュニティにもなり得るので、そういった機会を増やしていきたいと思っています。

 

− Echoesとして、青葉通とはどのように関わっていきたいと考えていますか?

僕らはEchoesという点としての状況作りに焦点を当ててやってきていますが、点だけに集中するのではなく、面の視点でも街との緩やかなつながりやコミュニティーをどう醸成させていくかが大切だと思うんです。通りに椅子を置いてみたり、イベントを定期的に開催してみたり、そうやって意志を持ちアクションを起こす人が街に増えることは、絶対にポジティブなエネルギーが生まれると思います。

また、Echoes界隈は住宅街。常に人が歩いているエリアではないからこそ、Echoesそのものが目的地になるようにしたいですね。

 

 

落ち着いた物腰、淀みのない言葉でお話される佐藤さんは、現在26歳。盛岡・仙台で育ち、東京で大学時代を過ごして、海外で見聞きしたことを生かしながら仲間と共に場を作っている。その点の一つであるEchoesは、少しずつ街の景色を変え、共鳴する人を増やしている。

最後に、佐藤さんの考える「仙台・青葉通らしさ」を尋ねてみた。

「青葉通は、仙台駅から西公園界隈まで東西に伸びている通りです。青葉通に対して南北に伸びる東二番丁通り、晩翠通を区切りに、街の景色が変わっていくのが面白い。仙台駅前は商業エリア、東二番丁通りからはオフィス街、晩翠通からは同じようにビルが立ってはいるけれど少し静かなエリアに変わり、Echoes界隈は住宅街、さらに青葉山の方に行くと東北大学がある……。ゆるやかに街の景色が変わっていく面白さは、青葉通ならではと思います。」

並木道がゆえ、四季の景色の移り変わりが見られる青葉通で「春の木漏れ日が一番気持ち良い」と佐藤さんは笑う。新緑が木漏れ日を作る頃、Echoesのある青葉通は、3度目の春を迎える。

 

 

佐藤岳歩

1997年、宮城県仙台市生まれ。株式会社TheYouth 代表。「若者と世界を繋ぐ」を理念に、食やアート、音楽をコンテンツに、人とひと、若者と大人、文化と価値観が交わる場と状況づくりをおこなう「The Youth」を創業。2021年、ローカルラウンジ「Echoes」(宮城・仙台)をオープン。2022年、カフェレストラン&ミュージックバーラウンジ「Common」(東京・六本木)をプロデュース、運営する。現在は、東京と仙台の二拠点で活動中。

https://the-youth.com/(外部WEBサイト)

 

 

撮影:佐藤早苗(sanas photo works)

取材・文:奥口文結(FOLK GLOCALWORKS)

場所協力:Echoes

写真提供::K5、Common